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現状の外側の住人はどんな人?#0182【苫米地式コーチング・権堂竹虎】

執筆者の写真: 竹虎 権堂竹虎 権堂


皆さん、セルフトークをコントロールしていますか?

この放送が始まった瞬間に、どんなセルフトークが頭に浮かびましたか?

「なんかトランス状態に入りそうな音楽だな」とか、そんな感じでしょうか。

私はこのテーマ曲を毎日書いています。なぜ毎日書くのかというと、常に「昨日とは違う自分」を感じたいからです。未来の自分をまずゴールとして設定し、そのゴールに近づいている自分をセルフトークやセルフイメージにすり込むためです。そのため、放送する際には気づいたときに背景の画像を変えてみたり、テーマ曲を変えてみたりしています。目や耳から入ってくる情報を自分でコントロールできる部分は、どんどん日々変えているんです。

そうやって少しずつ変えていくと、今まで気づかなかったことが見えてくる可能性が出てきます。だから私は、意識的に少しずつ変えるようにしています。たとえ自分で変えようとしなくても、新しい視点を見つける癖をつけると、いろんなことに気づけるようになると思います。今まで見ていなかったものに目を向けるだけで、そこに答えが隠れていることもたくさんあるはずです。人それぞれ、知りたい情報や答えは違うものですよね。

でも、脳と心の使い方が自分のコンフォートゾーンに閉じこもってしまっていると、見えづらくなったり感じづらくなったりします。実は情報はすぐ目の前にあるのに、気づいていないだけなんです。だから、問題を解決したいと思ったときには、少しずつ自分の中で何かを変えてみるといいと思います。

さて、本日のテーマに移ります。

今日のテーマは「現状の外側の住人はどんな人?」です。よろしくお願いします。

皆さんに質問です。現状の外側の住人って、どんな人だと思いますか?

現状の外側の人というのは、人によって異なりますが、自分が今まで会ったことのない人や体験したことのない人のことを指すかもしれません。まだ出会っていない人、つまり未来側の人とも言えるでしょう。一方、慣れ親しんだ人は過去からの延長線上にいる人です。でも、目の前にいる人であっても、自分の脳と心が作ったストーリーで「見えないようにしている」場合もあると思います。そういう人たちが「現状の外側の住人」なのかもしれません。

では、皆さんが現状の外側の人と出会ったとき、どんなセルフトークやセルフイメージが浮かぶでしょうか?

例えば、「変な人だな」「理解できない人だな」「見たことない人だな」といったことが頭に浮かぶかもしれません。そうやって目についた瞬間、「この人、変だな」と感じることがあると思います。それが現状の外側の人です。

でも、その「変だな」と感じた人を見たり感じたりできたということは、あなたのストーリーが少しずれて、今まで感じられなかったものに気づけたということなんです。そういう人が、あなたにとっての「現状の外側の住人」です。そして、その違和感を感じつつも、その存在に気づけたということは、あなたの脳と心の中にすでにその要素があるということです。全くないものは見えないですからね。

だから、過去の情報に縛られず、感じようと努力して現状の外側の人を見ようとすると、「ちょっと変わった人」が見えてきます。でも、その変わった人を見れたということは、あなたの中にもその「変わった部分」が存在するということなんです。それは恥ずかしがることではありません。自分らしさ、オーセンティックな個性というのは、制服や信号のようにはっきり決まったものではなく、一人ひとりに尊重されるべきものです。

では、その「押し殺しているもの」って何でしょうか?

ここが重要です。誰の言葉に耳を傾けて、そうしているのか。それが大事なんです。

例えば、今の時代を生きている中で、周りからどう思われるかを無意識に感じながら過ごしていることがありますよね。流行や「今いいと思われていること」が、誰かから刺激的に見せられて、「そうじゃなきゃいけない」と脳と心が思い込んでしまうことも多いんです。

それを簡単に感じる方法があります。今日の夕方に私も感じたんですが、普段私はテレビを見ません。理由は、垂れ流される情報をそのまま真実として受け入れるのは危険だと思うからです。でも、今日ちょっと眺めてみて気づいたことがあります。夕方に衛星放送を見ていたら、通販番組や過去のサスペンスの再放送が流れていました。その登場人物の服装や雰囲気を見て、どうでしょう? 今の時代と比べて何か違和感を感じませんか?

でも、その再放送が作られた当時は、あなたはその世界を違和感なく受け入れていたはずです。例えば、15年前の番組を見ると、「なんか変な格好してるな」と感じるかもしれません。ローライズのパンツをみんなが履いていた時代があったけど、今見ると変に思う。でも当時はそれが普通で、履いていないと逆に変だと思われたかもしれない。

つまり、「変だ」「変じゃない」「時代遅れ」「進んでいる」という基準は、誰が決めているんでしょうか? あなたの脳と心がそう判断しているのか、それとも誰かにそう思わされているのか。

私は50代ですが、例えば大学生の頃、ルーズソックスを履いている子を見ても変だとは思いませんでした。でも今見たら変に思うかもしれない。厚底ブーツやミュールが流行った時代もありましたが、今はどうでしょう?

だから、「変だ」「変わってる」というのは誰の基準で考えているのかを、ちょっと立ち止まって考えてみてください。そうすると、「あ、私、誰かに思わされた基準で見てたんだな」と気づく瞬間があると思います。

そうなると、自分の脳と心を使って、「自分はどう思うのか」「自分の価値観ではどうなのか」を考えてみてほしいんです。そうすれば、「あ、実はこういうことがやりたかったんだ」と気づけるかもしれません。誰かが決めた基準で判断してしまうと、一人ひとりの個性や価値観を踏みにじる可能性があると感じています。

誰かに決められた基準で「正しい」「間違ってる」と判断すると、二対立が生まれて争いが起きます。相手を尊重するつもりがなくても、「違う」と言った時点で、相手にはいじめられているように感じるかもしれません。「尊重しましょう」「いじめをなくしましょう」と言っても、誰かの基準で正誤を決めてしまうと、そもそも生きている世界やルールが違ってしまうんです。

だから、誰かに決められた基準で考えている限り、現状の外側の住人には会えません。

違和感を感じることは、とてもいい傾向なんです。例えば、電車でブツブツ独り言を言っている人がいて「ちょっとまずいかな」と思ったら、それは危険かもしれないから距離を置くべきです。でも、危害はないけど「自分の価値観とは違うな」「ちょっと変わった人だな」と感じたときは、それがいい傾向なんです。

なぜなら、昨日の自分とは違うものが見えた瞬間だからです。その価値観を取り入れるか入れないかは別として、自分の脳と心を使って見て、判断してみてください。人の意見や法律、流行、売れているかどうかで決めるのではなく、自分の頭で考えてみましょう。そうやって繰り返していくと、他人の価値観を尊重できるようになります。そして、現状の外側の住人に会えるようになるんです。

今日の放送で言いたかったことは、「現状の外側の住人はどんな人?」という問いに対して、「変わった人」かもしれないけど、その人を尊重できなければ、見えたとしてもそこには行けないよ、ということです。

最後に伝えたいのは、違和感はいい傾向だということ。自分にないものが見えた瞬間であり、ストーリーが外れた瞬間です。その人を「自分と違うから」と切り捨てるのではなく、相手を鏡だと思ってください。自分の脳と心が映し出したものとして尊重すれば、自分の好ましくないセルフイメージを変えるように、目の前の人も尊重しつつ判断できます。

答えは一つではありません。違和感を感じたとき、「嫌だな」と現状に戻ろうとせず、「現状の外に出たんだ」と捉えてください。その人を尊重し、良い価値観を取り入れられれば、確実に昨日より成長できます。

ということで、本日のライブ配信は以上です。

ご視聴ありがとうございました。それでは失礼いたします。

 
 
 

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